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2007年10月05日

横領

多額すぎてびっくりだねww

松本引越センター(大阪府四條畷市)の創業者の松本博文会長(72)を振出人とする総額6億円の手形5枚が作成され、関連会社名で裏書されていた問題で、同社は4日、会社の信用を傷つけたなどとして松本会長を1日付で解任するとともに、会社法の特別背任と有価証券偽造容疑で大阪府警四條畷署に告訴状を提出したと明らかにした。同社は、松本元会長について関連会社2社の代表取締役についても同時に解任した。同署は「告訴内容を検討する」として受理していない

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2007年09月20日

東ローマ帝国

しばしば「ビザンティン帝国」「ビザンツ帝国」のいずれが正しい呼び方なのか、という議論があるが、当の帝国政府や住民は、自国を単に「ローマ帝国(古典ギリシア語:Βασιλεία των Ῥωμαίων(Basileia tōn Rōmaiōn))」と称していたのであり、彼らが「ビザンティン帝国」「ビザンツ帝国」といった呼び方をしたことはない。帝国の一般民衆は、自国を「ローマ人の土地」を意味する「ローマニア(Ρωμανία(Rōmania))」と呼んでおり、また彼ら自身も「ギリシア人(Ἕλληνες(Hellēnes))」ではなく「ローマ人(Ρωμαίοι(Rōmaioi))」を自覚していた。

「ビザンツ」は、帝国の滅亡後、19世紀以降に使われるようになった通称である。これらの通称はあくまでも古代から1453年まで続いたローマ帝国の一時期を指す呼称で、以下に述べるようにいわゆる「古代ローマ帝国」とは文化や領土等の面で違いが顕著であるため便宜上用いられているだけである。

「ビザンティン」は英語の形容詞「Byzantine(英語により近い発音だと「ビザンティーン」)」に、「ビザンツ」はドイツ語の名詞「Byzanz(同・「ビュツァンツ」)」によるもので、いずれも首都コンスタンティノポリスの旧称ビュザンティオンに由来している。日本においては、おおむね歴史学では「ビザンツ」が、美術・建築などの分野では「ビザンティン」が使われることが多い。

カール大帝の戴冠による「西ローマ帝国」復活以降は、西欧でこの国を指す際には「ギリシア帝国(Empire of Greek)」「コンスタンティノープルの帝国(Empire of Constantinople)」と呼び、コンスタンティノポリスの皇帝を「ギリシアの皇帝」と呼んでいた。[1]

例えば桂川甫周は、著書『北槎聞略』において、蘭書『魯西亜国誌(Beschrijving von Russland)』の記述を引用し、「ロシアは元々王爵の国であったが、ギリシアの帝爵を嗣いではじめて帝号を称した」と述べている。ローマ帝国の継承者を自称したロシア帝国であるが、ルーシの記録でも東ローマを「グレキ」(ギリシア)と呼んでおり、東ローマ帝国をギリシア人の帝国だと認識していた。

このように自身が古代ローマ帝国の後継者であるとするのは、あくまで東ローマ帝国の側からした主張に基づくのであって、その余の欧州ではその独自の立場から「東ローマ帝国」をさまざまに呼んできた。

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2007年08月21日

小田和正が裕次郎さん超え!シングル最年長1位を記録

わたしは昔から小田和正のファンだったのですが嬉しい情報がありました。


歌手、小田和正が59歳11カ月でシングル最年長1位記録を樹立したことが20日、オリコンから発表された。27日付シングルチャートで新曲「こころ」が初登場1位に輝き、故石原裕次郎さんの52歳7カ月を20年ぶりに7歳4カ月上回った。小田は、平成17年6月に57歳9カ月で打ち立てたアルバム最年長1位記録も保持しており、ダブル戴冠となった。


 また、27日付のアルバムチャートでは歌手、徳永英明(46)の女性歌手の名曲カバー盤「VOCALIST3」が1位を記録。こちらは徳永にとって、3年10月の「Revolution」以来通算4作目、15年10カ月ぶりの1位獲得となった。男性ソロ歌手によるカバー盤の1位は、吉田拓郎の「ぷらいべいと」以来、30年3カ月ぶりの快挙。


お祝いという事で小田和正の経歴を紹介します。


歌手1947年9月20日、横浜市生まれ。実家は薬局だった。東北大工学部卒、早大大学院建築科修士課程修了。69年に「オフコース」を結成しヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストに出場。東北地区予選を1位で通過し全国大会に進出するが、優勝した「赤い鳥」(後のハイファイセットの母体)の力に圧倒される。70年、「群衆の中で」でデビュー。79年にシングル「さよなら」「愛を止めないで」が大ヒット。82年に結成時からのメンバー、鈴木康博が脱退したため活動を休止。84年に活動再開するも、89年に解散した。すでにソロ活動をスタートさせていた小田は、翌年、初のソロ全国ツアーを行った。91年、フジテレビ系月9ドラマ「東京ラブストーリー」の主題歌となった「ラブ・ストーリーは突然に」が280万枚の大ヒットに。92年に企画、脚本、監督、音楽を務めた映画「いつかどこかで」が公開される。97年には2作目「緑の街」を監督、全国で自主上映した。ゴルフのオフィシャルハンディ8の腕前を生かし、93年秋に米国のプロシニア大会「ラルフズ・シニア」(ロサンゼルス)で青木功選手のキャディーをつとめた。自ら志願したもので、後に「緊張で失敗の連続だった」と振り返っている。03年4月に母校・早大でアフガニスタン復興支援のためのチャリティーコンサートを開催。04年10月から、テレビで初のレギュラー番組「月曜組曲~風のようにうたが流れていた」に出演。軽妙な語りとほかの歌手の曲も歌うことが話題を集めた。05年に発表した5年ぶりのオリジナルアルバム「そうかな」は、自身が持つオリコン1位最年長記録を更新した。


これからも私たちファンを魅了し続けて欲しいものです。